『大学ごと』ではなく『学問ごと』で人が集まる学問体系を提唱します

大学

※私は経済学者でも教育者でもないので、これはただの戯言です。適当に見てください。また、かなり偉そうな記事なので、イラっとする人がいるかも知れませんが、エンタメとしてみてください。

さて、今回の’’この件’’で、教育体制が変わるかもしれません。

授業がリモートになり、大学の価値を見直すひとも多いのではないでしょうか。

今回、私が言いたいのは「人が何かを学びたいとき、『大学ごと』に集まるより、『学問の種類ごと』に集まるのが自然だよね」ということで、今までは学問の種類ごとに集まっていたのがそのまま大学だったわけですが、リモート授業が続く場合には、大学という体系は意味がないんじゃ…?と思ったわけです。

少し長い文章になりますが、個人の意見を書いていきます。

そもそも、『何かを学びたい人』が集まり、大学が始まった

学びへの欲求を持った人が自発的に集まって勉強し始めたのが、大学の起源です。

それがいつか、教育機関としての役割を持ち始めたのです。日本では、特にその傾向が強いですね。

こういった話をするとき、「始まりはそうだったかもしれないけど、今は違うのだから、初期の話と比較するのはナンセンスだ!」と思う人がいるかもしれません。

しかしながら、現代においても、人文学にせよ、理学にせよ、工学にせよ、何かを学びたいひとが集まらなければ大学の意味が(ゼロとは言いませんが)無いというのは納得してもらえると思います。

大学にいる職員は、学問のプロであり、研究活動教育のプロであって、人格生成のプロではないからです。おそらく、よほどの人生を送ってこなけば、人格生成は高校生までで終わっているはずです。

つまり、現代においても、本質的には大学は『何かを学びたい人の集まり』であると私は考えています。

学問だけに注目した場合は、大学ごとに括る意味があまりない

ここからは、現在の状態が続き、リモートで授業を受けることが当然となった状況を仮定して、話を進めます。

主張を簡単に言えば、もっと自由に学べばよくね?ということです。

高い学費を払い、基本的には一つの分野の単位を取っていき、卒業するというのが今の大学のシステムですが、大学は『何かを学びたい人の集まり』というところに立ち戻れば、

大学という集団は定義しなくても機能するし、もっと自由に学べるのではないかと思うわけです。

リモートなら、なおさらです。大学に足を運ばなくても良いのですから。

特に、実学(実験など)を伴わない学部・学科は、いらないのではないだろうか(学問は必要。システムが不要)と思います。

実学が伴うと、アナログ的に人が足を運ぶ必要がありますからね。

よって、学問ごとに小集団を何個も作り、それなりに社会的にも意味のあるシステムができたらいいなと思うわけです。

「私は『レベル2の物理』と『レベル3の経済学』のコニュニティに参加し、単位をもらって卒業する」みたいな。

大学という括りの中では、こういったことがやりにくいのは明らかです(他専攻の授業に潜ることは可能かもしれませんが)。

なぜ私が、こんなことを言うのか、実際の例を見ながら説明していきます。

Twitterに見られる『学術クラスター』

スーパー中学生、高校生が大学生を圧倒する

私はTwitterで(大学教員などを含めた)学術アカウントをフォローしていますが(主に物理・数学)、Twitterの世界には、めちゃくちゃ賢い人がいます。年齢問わずです。

私なんか塵のように扱われるのが、Twitterです。

そして同じ分野に興味を持った人同士がフォローし合い、Twitter上で議論し合う。

興味がある人が参加しているので、すでに勉強はしている。

学びの場は、これでいいのでは?と思うわけです。

確かに、「勉強は苦手だけど、理解したい人」への配慮は必要でしょう。

しかし、レベル別にコミュニティができればいいだけであり、理解が進んだら一つ上のコニュニティに行けばよいかと思います。

つまり、このTwitter上ですでに行われている議論を、WEBで行い、「このコニュニティはこの分野をこのレベルで勉強(議論)ているよ!」ということが周知される環境が出来上がれば、最高の場になると思います。

さらに、年齢問わず、時間を使って勉強したいひとが入ってくる。

これが現代の学問体系では?

リモート授業になったら、なおさら、こちらでいいような気がします。

こっちのほうが、自然だし、学問の質も上がる

『何かを学びたい人の集まり』 としてはこちらの方が自然ですし、年齢的の壁がなく、意欲があるひとが来やすい環境ならば、学問の質もあがるような気がします。

このTwitterのように、学問の質が高い小集団は既に存在しますが、社会的にはあまり意味をなしていません。これ自体が、大学の代わりとなれば、意外といいんじゃないかなと思ったわけです。

学問小集団である良い例として、研究室のゼミがあります。

研究室のゼミのことを考えると、学部生全員が研究室のように小集団として活動するには、教員の数からして厳しいから、学部生は一斉授業するんじゃないか!と思うかもしれませんが、

学部生も、自由に小集団を作りましょうというわけで、これは大学側の問題ではなく、学生側の問題なわけです。別に教員による授業はあっても良いが、リモートなら大学という形を取る必要はないし、その授業に加えて、学生は小集団を作ろうね、という意見です。

大学は好きです。感謝もしています。だからこそ

私は大学は好きな方だと思います。

学部のころはめちゃくちゃ勉強したし、研究室に配属されたら自ら徹夜で実験してました。

大学があったからこそ、今の自分が作られたのだと思います(人格ではない)。

にもかかわらず、大学の形を批判するともいえる記事を書いているのは、大学が好きだからこそ、ただしい形で存在してほしいと思うからです。

ネットだけでは良い教育体系は学問体系は生まれない

勉強したいだけなら、家で本を読んでいれば良いですよね。大学では、人と議論しなければ、意味がない。

アウトプット(議論、論文にまとめる)して、フィードバック(他の人から意見をもらう)して、自分の認識を調整していくことが必要なわけです。

授業に意味がないか?と聞かれれば、もちろんあります。

たしかに、どうしても「教える」ということは必要になってきます。それが一対一ではなく、集団ならば、効率は良くなるでしょう。

しかしあれは、「半分は」強制されなければ勉強できない人のためのシステムです。勉強するだけなら、家で本を読んだり、ネットを見ていた方が良い。

近年、「良い授業とは議論の場である」という認識になりつつありますから、無理やり授業の形を保つ必要はないのではないかと思います。

きれいごとであるのは承知だが

現状、大卒の資格を得たいがために大学に行く人がほとんどですよね。現実的にそうするのが社会的に有利ですから。給料的にも、就職のしやすさも。それが、多くの人にとっても本音のはずです。みんな進学しているし、不安だからと。

しかし、それはお金に余裕があるからこそ、できることです。

今後数年は経済的に厳しくなるといったときに、ぜいたく品である大学教育を受けられる人はどれだけいるでしょうか?

そうなると、大卒資格というものは見えなくなる。

『学びたい』という気持ちだけが残ったとき、小さな集団が自然であるので、上のようなことを言わせていただきました。

いづれ、それが再び大学に近い形になる

景気が戻ったり、人々の生活のスタイルが変わり、安定したら結局、上で述べた小集団は大学(に近い形)になるでしょう。

それが現在の放送大学のような通信制大学になるのか、学問ごとに参加登録できるサイトになるかは分からないが、数が大きくなれば、それをまとめる人が必ず出てくる。

これは、フリーランスが流行っていたころ、フリーランスをまとめる会社が出てきて、結局のところ派遣事務所じゃないか!というのと同様。

しかし、大学の意味を見直すには、必要なことかと思います。

もう一度言うと、今までの話は、教育機関としての大学に限った話ではないです。何かを学びたい人の集まりとしては、こういったシステムが自然なんじゃないかという話で、これは高校生でも、中学生でも、社会人でも、おじいさん、おばあさんでも良いわけなので、より多様な視点を取り入れる結果になるのではないかと思います。

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