みなさんこんにちは!!
2019年4月1日に、平成の次の元号が発表されました!!
新元号は、令和です!!

発表の様子は、こちらです。
いやあ、平成に変わったときの、「平成」と書かれた色紙をもって発表しているあの映像は何度か見たことがありましたが、まさか別の元号で、その瞬間をリアルタイムで見ることができるとは…(ちなみに、僕は平成7年生まれ)
もし昭和から平成に変わる発表を見たことがない人は、こちらの動画をどうぞ。
「平成であります」が印象強い映像です。ちなみに、令和の発表時のスタイルは、この平成発表のスタイルを参考にしています。
これで僕も、「ひとつ前の時代のひと」になるわけですね…(笑)
さて、実際に平成から令和に代わるのは5月1日からですが、今回は平成生まれとして平成、そしてこれからの時代である令和について思うことを述べようと思います。
少し、真面目な内容なので、そういうのが苦手なひとは他の記事を見てくださいね!!
明らかなモノの進化
僕が生まれたのは、ちょうど携帯電話が世に出て普及し始めてから少し経ったころでした。
あの頃は、ポケベルやショルダーフォンがそれまでにあったので、携帯電話もそこまで「スゴイ」夢のような発明品として扱われていなかった気がします。
そして携帯電話は徐々に進化していき、いまでは「電話」という名前を含んでいるものの、性能としては全く別物のスマートフォンとして世の中を便利にしています。
スマートフォンも携帯電話と同様、以前の発明品から徐々に進化してきたので、人間にとってそれはそこまで「スゴイ」と驚くほどではないものとなっています。
例えば、1年前の自分に最新のスマートフォン、Google Pixelを見せても、そこまで驚かないでしょう。
しかし、携帯電話の時代の人にGoogle Pixelを見せたら、便利な生活に期待し、興奮し、そして過剰な想像によって未来が怖くなるかもしれません。
この約30年間で、それほどモノの性能は変わりました。
とくに、インターネットに関連するものは、世の中を大きく変えました。
それまで普通だった作業がインターネットを使う今では非効率な作業になり、
電車の中ですることはスマートフォンを見ることが当たり前、
昔では頭が悪くなるものと捉えられていた、ゲームに熱中する人ほど多くのお金を稼ぎ、
大人も子どもも、スマートフォンの操作に一日の多くを使っています。
そして、
インターネットで知り合った人と合うことに後ろめたさがなくなり、
一昔前ではお見合いという文化が主流だった日本でも、SNSで知り合った人々が結婚し、
いつでもどこでも好きな人の顔を見ることができるようになりました。
もし30年前の人が令和元年にタイムスリップしたら、かなり居心地が悪いと思います。
しかし、これはたった30年。
世の中の時代の移り変わりの速さが分かると思います。
この30年間で、ヒトは変わったか?
モノの性能、特にインターネットに関係するモノの性能が格段に上がったことに意義を唱える人はいないでしょう。
それでは、このモノの進化と同じくして、ヒトの考え方も変わったのでしょうか??
変わった部分もあれば、変わっていない部分もあると思います。
そして、変わったひともいれば、変わっていない人もいます。
ここで注意したいのは、食事の時にはテレビやゲームを見るな、といっていた大人が平気で食事をしながらスマホを見たり、歩きスマホをするようになったのは、人が変わったというより、スマホに操られていると言った方が良いでしょう。
そうではなく、ここで「変わった」というのは、この世の中の変化に対して、どのように反応するのか、といったことです。
例えば、今の日本ではもう全員が全員、受験勉強をする必要がなくなりました。
ある人はゲームに熱中し、あるひとはひたすらブログを書き続け、ある人は勉強し、大学で研究し、あるひとはSNSでバク転の動画を上げているほうが、世の中的にも、個人的にも良い場合があります。
この現状に対して、実際の反応にはいくつかのパターンがあります。
気づいて行動しているパターン、気づいてはいるけど行動できていないパターン、気づいていないけど自然と行動できているパターン、そもそも情報不足で行動できていないパターンなどです。
つまり、世の中が変わってきていることに気づいて、自分にとって受験勉強をするよりも面白い動画を撮ったほうが最適解であると気づいて行動してる、などです。
しかし残念ながら、日本の体系的には30年ほど前からの受験勉強→大学進学→就職という流れはあまり変わっていません。これが変わっていない部分です。変わっていない理由は、過去のそこそこ稼いできたひとの多くが高学歴だから、就職のシステムがあまり変わっていないから、会社員以外はやはり不安だから、などでしょう。
反対に、完全に考えがシフトした部分もあります。
この時代に、YouTuberを職業として認めないひとはいないでしょう。今では、企業や投資家、企業家でさえもYouTuberです。
しかし、数年前の人から見たら、YouTuberは完全に「遊んでいるだけのひと」です。
言い換えれば、現代から見れば「遊ぶことも仕事である」ともいえます。
※これは
これからは我々はもっと遊んでいかなくちゃいけない
堀江貴文さん
を参考にしています。
YouTuberが職業として認められたのは、お金を稼ぐ人が出てきたからでしょう。
「稼ぐ」というのは、昔は「お金を得る」と考えられていました。
しかし、多くの著名人が言っているように、「お金は信用・信頼のことである」という時代に突入した今、仕事として認められるべきなのは、信用・信頼の価値を提供する行動であり、お金はその後からデータとしてもらうものだと言えます。
YouTubeなどの情報発信者は、まさにそれそのものです。
この考えに基づき、今後はお金を得る前から仕事として認めらえるものも出てくるかもしれません。
正しい世の中に近づいているのかもしれない
世の中が変わり、ある意味でインターネットが支配する世界となりました。インターネット依存症が常に議論される世の中です。
このような現状に対してはっきり言えるのは、人類がインターネットからの解放されることはあり得ません。
インターネットを捨てた瞬間、国として淘汰されるからです。
よって、インターネット、SNS、スマートデバイスとは今後も付き合っていかなければなりません。
このような世の中では、生活は便利なものを使って効率よく生き、やりたいことをやりたい時間だけやることを「生活が豊かになる」と定義します。
これを認めたうえで、議論していきたいと思います。
決して無くならないインターネットにより、世の中は格段に便利になり、コンピュータ自体の性能が向上したことで人工知能などのさらに生活を豊かにするものが実用化されてきました。
事務作業などは完全にコンピュータやAIにやってもらうことになり、多くの社員がリストラされているのが現状です。つまり、事務手続きなどの単純作業には価値はありません(少ないです)。
そうやって、クリエイティビティのない仕事、コンピュータにできる仕事はどんどんと無くなっていきます。令和が終わるころには、クリエイティビティが必要な仕事しか、世の中に残っていないでしょう。
このような時代では、歌やアート、マンガ、映画、動画のクリエイターやスポーツ選手が際立っていっているように思えます。
もちろん昔から、一流の歌手や映画監督、スポーツ選手は人気者で、多くの感動を与え、その代償としてお金を多く得てきましたが、
現代では、一流でなくともこのようなクリエイターたちは、価値が上がっていると感じています。
例えば、学問やブログばかりの生活をしていて普段はあまり情緒が動かない僕が、TikTokやYouTubeで動画を見ると、感動したり、驚いたり、心が動かされ、また頑張ろうと思えます。
僕が見ているのは超有名YouTuberなどではなく、どこにでもいる高校生だったりします。
これだけ感動できる動画をなぜどこにでもいる高校生がつくれるのかというと、例えばTikTokでは効果的な動画が容易だからです。
しかし、それにしても人を感動させるというのは、なかなかできるものではありません。
コンピュータにできる仕事ではないので、これは明らかに「価値がある仕事」です。
そして、実際にどこにでもいる高校生は、人を魅了した分だけ稼いでいます。
人を感動させる人こそが、お金をもらう。これが正しい世の中だと結構思ったりします。
そして、こういった仕事ばかりが残っていきます。つまり、世の中は正しい方向に進んでいるのだと思います。
最後に
平成は、人間が本来しなくてもよいことを教えてくれた時代だと思っています。
ブラック企業に見られるように、体調を崩してまで働くのはおかしいから、ニュースになるのでしょう。
人間がやらなくてもよい事務手続きをやっていたから、解雇されたのでしょう。
そして令和では、平成が教えてくれたことを正していき、それが常識になる時代であると願っています。
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